薩摩の久保の情熱
生産者の情熱と販売店の情熱をひとつに
「薩摩の久保」は、開店以来一つの想いを貫ぬいてきました。
その想いとは生産者である農家さんと、私たち販売者と、お客さま、それぞれが幸せになれるということです。生産農家さんは生きがいを持って最高級の牛を育て、それに対して私たちは技術を磨き、感謝を込めて丁寧に処理をして、お客さまに喜んで食べていただく。これこそが牛の匠と肉の匠が、お客さまに対して果たすべき「信頼と責任の証し」なのだと考えています。
生産農家さんの「消費者が唸るような美味しい和牛を育てたい」という情熱と、私たちの「今まで食べたことのないような美味しい和牛をお客さまに食べていただきたい」という情熱が重なってこそ、お客さまに心から美味しいと言っていただける和牛を提供できるのだと考えています。
有限会社 薩摩の久保
代表取締役 大山 広二郎
「薩摩の久保」の物語を次代へ紡いでいきたい
清潔に磨き上げられた店内では、職人が鹿児島県阿久根市から直送されたブロック肉を熟練の技で捌き、ショーケースには美しくカットされた多種類の牛肉が並ぶ「薩摩の久保」。
連日、美味しい肉を求めて多くのお客さまで賑わっています。
店横の階段を登るとそこは焼肉レストラン。
休日はなかなか予約が取れない人気店です。
「大阪の都島にめちゃくちゃ美味しい肉を食べさせてくれる焼肉店があるらしい」「薩摩の久保の肉を買って食べたら他のは食べられへん」。
ファンを唸らせる牛肉の魅力、その背景にある真実の物語を紹介します。
物語の始まりは、鹿児島県の阿久根市から
「薩摩の久保」は、鹿児島県で祖父母が牛飼いを始めたのがルーツです。鹿児島県で生まれた私の父は、幼少のころから牛や農業に携わって育ちました。父は最初、鹿児島で農業に従事したのですが、その後東京でのサラリーマンを経て、私が生まれた昭和44年(1969年)に大阪で食肉業界に入りました。当初は、業界のことがまったくわからず、苦労の連続だったと聞いています。その後、肉の卸をするかたわら、わずか10坪という小さな店を母とともに始めました。それが久保商店の前身です。
私は小さいころから里帰りする両親と一緒に、よく鹿児島県に行きました。自然の中でのびのびと育つ牛、穏やかな風景にいつしか心が惹かれ、父の事業を継ごうと大学卒業後に迷わずこの道に進みました。
父のもとで5年間働き、大阪府摂津市の「薩摩の牛太」(太田黒明彦社長)に弟子入りをして焼肉の勉強をし、平成9年(1997年)に父母とともに「薩摩の久保」をオープンしました。
野崎畜産との運命の出合い
当初は鹿児島和牛取扱店としてスタートしましたが、大阪食肉市場で野崎さんの牛を買い付けたのが「のざき牛」との運命の出合いとなりました。
実は野崎畜産初代社長(故・野崎熊雄氏)とは、祖父母の代からの縁があったのです。
野崎さんの牛を改めて食べた私は衝撃を抑えることができませんでした。
今までにはない最高の旨みと風味。
これからは、のざき牛のようなブランド化した本物の牛肉を使っていかなければならない。
そのためには生産者とともに、責任と自信を持って販売していくべきだと、強い信念を心に刻んだ瞬間でした。
狂牛病を乗り越え、より深まった絆
徐々にのざき牛への評価も高まり、順調に固定客も増えていったのですが、平成13年(2001年)狂牛病(BSE)問題が発生。食肉関連産業は大打撃を受けました。牛肉が売れない、病気の不安もある。経営不振に陥り、畜産業から手を引く生産農家も少なくはありませんでした。
そんな折、私は鹿児島県にある野崎畜産の牛舎を訪ねました。待ち受けていたのは2代目社長である野崎満浩さんの落ち込んだ表情でした。「温厚でいつもにこやかだった人が笑いもしない」と言った夫人の枝美さんの言葉を聞いて、ショックを受けたのは言うまでもありません。
私は「満浩さんの牛を一頭でも、半頭でも、一切れでも責任を持って販売していきますので、一緒にこの苦難を乗り越えていきましょう」と告げて、自分自身の決意をあらたにしました。この狂牛病事件を機に、私たちの絆はそれまで以上に深まりました。
最高級牛「情熱牛」誕生への軌跡
その後、生産者グループと、薩摩の久保との新しい取り組みがスタートしました。
2012年には、野崎満浩を中心に、柳田実義、八重尾均、石澤豊樹、山崎英二の5農家とともに、お互いに協力しあって牛を育て、販売する中で、厚い信頼関係を築くにいたっています。
鹿児島県北西部、阿久根市を中心とした5農家で育てあげた牛を、私たちは「情熱牛」と名付けました。名付け親は野崎満浩さんの夫人である枝美さん。最高級の牛を育てるためにかける情熱は、誰にも負けないと自負する一人ひとりの思いが、このネーミングに込められています。
現在は年間出荷の8割以上が5等級、4等級の最上級肉であり、とろけるような食感と甘み、食べ終えた後の余韻が大きな特徴です。これぞまさに牛肉中の牛肉。今まで食べたこともない、牛肉の王者と言っても過言ではありません。その証しとして、栄誉ある「南九州枝肉共励会」でのグランドチャンピオンに、8回も輝いています。
生産農家との関係を「信頼と責任の証し」の言葉に託して
薩摩の久保の究極の目標は、生産農家さんが愛情をかけて丹精込めて育てた牛を、お客さまに美味しいと言ってもらえるように、肉のプロとしていかに心を込めて丁寧な作業をし提供するかということです。
ことあるごとに鹿児島の生産農家さんを訪ねて、どんな牛舎の管理をしているのか、どんな気持ちで牛を育てているのか、そこでどんな素晴らしい牛が育っているのか、農家さんの情熱を常に共有しています。
いつも感じるのは、情熱牛グループの農家さんの人柄の良さです。誠実で温厚、牛を育てる時は誰よりも真剣で真面目。最高級の名に相応しい牛に育つのは、こんな人たちが育てたからこその結果です。
私はそんな農家さんを「信頼」して「責任」を持って売る。「信頼と責任の証し」こそが情熱牛グループの根底に流れている共通の思いです。
肉を美味しく提供するための高度な技術
肉を処理する時は「信頼してください、責任を持って美味しい肉をより美味しく味わっていただけるようにします」という感謝の気持ちを持っています。肉の切り方や管理の仕方ひとつで、味がまったく違ってきます。ただ切るだけではない、美味しく切る技術は最低でも2年の修行が必要です。それぞれの部位の特徴を見極めて、下ごしらえをして、切り分け、適切な温度で保管するといういくつもの繊細な技術が必要になります。
牛肉は鹿児島で枝肉にしてすぐ、ブロック状の各部位の肉が冷蔵で当店に送られてきます。そのブロックごとに、脂肪や皮、筋を丁寧に取り除いていきます。夏場は脂が溶け出すと味が落ちるため、処理スピードも必要です。牛には一頭ずつ個性がありますから、手と目で確かめながら作業していきます。包丁の入り具合や弾力、色艶で、いい肉かどうかわかりますし、味もわかります。
薩摩の久保は、週に2頭ほどの牛を一頭買いで仕入れます。肉は400キロから450キロくらいあり、お客さまに提供できるのは約250キロで、半分ほど脂身で捨てます。ヘレステーキの部分は一頭で6キロしかありません。
徹底したこだわりで丁寧にホルモンを処理
ホルモンについてはさらに部位ごとに、きめ細かな下処理が必要になります。正しく処理されたホルモンは決して硬くないし、臭いもまったくありません。鹿児島県から直送されるものもありますがそれでは量が不足なので、大阪食肉市場からも仕入れています。
処理に関しては私が市場に出向いて、直接指示。14~15年かけてやっと、今の処理方法にたどりつきました。もちろん、市場から届いたホルモンはさらに店内で洗浄し、カットして美味しく食べていただけるように処理しています。
当店のホルモンが一味違うと喜ばれているのは、やはりこうした徹底した処理のたまものと思っています。
本当に美味しい牛肉を楽しんでいただきたい
2階のレストランはあえて家庭的な飾り気のない雰囲気にしています。薩摩の久保は、焼肉ってざっくばらんな食べ物だと思っているからです。みんなでワイワイ言いながら焼いて、箸で突いて食べる。子どもは肉にたっぷりタレをつけてご飯の上にのっけて食べる。お父ちゃんはホルモンをあてにビールや焼酎を飲んだりと、店の作りもフランクにして、薩摩の久保の肉をリーズナブルに楽しく食べていただければと思っています。
今まで牛肉が嫌いで食べられなかった人が、うちの肉を食べてから牛肉が大好きになった。ハンバーグは食べなかったけど、ここのを食べてから好きになった。そういうお客さまの声を聞くのが一番嬉しいです。
来てくださるお客さまが増えてきても、店舗を増やすことはしません。美味しい肉を提供するために大変な手間ひまをかけていますし、入荷する牛も限られていますから無理なんです。美味しいものを求めているお客さまに対して出来る限りの情熱をかけた牛肉を提供する。味はもちろん価格的にも雰囲気でも「ここで食べたら得、肉を買ったら得」と、感じていただければそれでいいと考えています。
「薩摩の久保」物語を継いでいきます
「薩摩の久保」の営みのすべてには物語があります。
もちろん「情熱牛」の生産農家との物語、焼肉店で提供している焼酎生産者との物語、卵農家との物語、味にも店の雰囲気にも、ただ利益の追求だけが目的ではなく、多くの物語が織り込まれています。
一つひとつの物語には色々な人間関係があって、心の繋がりがあって、それは本当に大切なものです。
薩摩の久保はこれからも次代に繋ぐために様々な物語を生み出していきます。