9.薩摩久保「和牛」のおいしさを今に!

和牛の中の和牛、それが「情熱牛」

朝晩、肌寒さを感じる季節になりましたね。食欲減退気味だった夏から食欲の秋、そしてすき焼きなど鍋物が恋しくなる冬へ。季節も徐々に変わってきているのを感じる今日このごろです。

薩摩の久保では最高峰の和牛「情熱牛」を焼肉店ではもちろん、精肉店とネット通販でお買い求めいただき、ご家庭で楽しまれるお客さまも増えています。

焼肉、すき焼き、ステーキ!主役はやっぱり「和牛」ですが、今回の「牛の匠物語」は、薩摩の久保の「情熱牛」のおいしさの秘密を知っていただくために、ちょっと「和牛」の歴史をのぞき見してみました。

●牛肉が日本で食べられるようになったのはいつごろからなのでしょう?

日本では、仏教が入ってきた6世紀、殺生を避けるという教えの影響で肉食をしない風習が生まれました。その後、約1,200年にわたって、肉食をしない文化が続いたのです。

魚や鶏の肉は古くから食べられていましたが、町民文化が花開いた江戸時代後期には、イノシシ肉の鍋料理やシカなどの肉も楽しまれるようになりました。

しかし、牛は農作業の大切な労働力として、とても大事に飼育されてきましたので、食料としての牛肉にスポットが当てられるようになったのは江戸時代も後期のころになってからといわれています。

●牛肉を文明開花が後押し

庶民が牛肉を食べるようになったのは明治時代からといわれています。

明治初期には、海軍が栄養をつけるために牛肉を食べることを採用し、明治天皇が初めて牛肉を食されたことをきっかけに、一般的に肉食が奨励されるるようになったそうです。

牛肉の普及は、富国強兵に基づく国民の強壮な身体作りが求められた、という背景があったことが伺えます。
 
いつしか牛肉を食べることは、文明開化だという風潮も生まれ、庶民の間に牛鍋のブームが起こりました。調味料は昔から日本人になじみのある、しょうゆ、砂糖、みそなど。牛肉ををうまく日本の食文化に取り込んだため、肉料理は家庭料理として定着していったということです。

日本人が牛肉を食するようになったのは、わずか約150年前から。明治時代以降、文明開化の影響によるものでした。

その後は、日本人の食文化が西洋の食文化と融合して、どんどん庶民の間に広がっていきました。

●和牛誕生の歴史

和牛の純粋種絶滅の危機

明治初期、神戸の居留地に住む外国人たちが但馬牛(たじまうし)の肉を食べ、とてもおいしいと評判になったそうです。

しかし、確かに和牛(神戸牛)は西洋種の牛より味が優れているとはいわれていたものの、肉量では劣っており、その改良は急務であると考えられました。

そうして、牛肉の需要が増えるにつき、小柄な日本の牛を外国の牛のような体格にしようと、品種改良(外国種の雄との交配)が盛んに行われていったのです。

ところが、和牛と西洋種との交雑は大失敗。気性が荒く、動きが緩慢、そしてなにより肉質がよくないという残念な結果となったといわれています。そうして、外国種との交雑がすすんだだおかげで、但馬牛を含む和牛の純粋種が絶滅の危機に直面してしまいました。

わずか4頭の生存牛が「和牛」のルーツ

終戦後、本来の和牛を取り戻そうと全国で本格的な取組みが始まりました。が、時すでに遅し。国内には純血の黒毛和種が残っていなかったのです。

しかし、一時は絶滅したと思われた純血種が、兵庫県美方郡香美町にある集落に奇跡的に4頭だけ生き残っていました。 陸の孤島といわれる地形が幸いし、他の村からも遠く離れていたため外国種との交配を免れていたのです。

この4頭の純血種をもとに但馬牛は復活していきました。まさに奇跡といえます。

そして、残った4頭の内の1頭の子孫として生まれたのが、肉質のよい強い遺伝子を持った種牛で、まだ凍結精液などなかった自然交配の時代ですが、生涯で多くの子孫を残しました。このDNAが、今の黒毛和種のルーツとなっているといわれています。

「奇跡の4頭」と呼ばれる牛たち。この牛たちがいなかったら、現在世界中に広がる「和牛」は存在していなかったでしょう。

●和牛生産王国鹿児島

全国に広まった純血の黒毛和種の遺伝子は各地で改良を重ねられ、ブランド牛となっていきます。

そして、鹿児島県でも、明治時代から県の畜産試験場を設立され、おいしい牛肉づくりのための研究が始まりました。

鹿児島の黒毛和種は、薩摩で飼われた在来種に、優れた和牛を交配して改良に改良を重ねて生まれます。

現在、鹿児島県は黒毛和種の生産量が全国の約2割を占めて日本一。肉質の最高ランクにあたる「5等級」の出現率も全体の4割を超え、数々の栄誉ある賞を取っています。

●和牛の中の最高峰の和牛!それが「情熱牛」

薩摩の久保の「情熱牛」は、このような和牛の歴史を経て、ハイレベルな鹿児島県の酪農家の中でも、さらに努力を重ねた「牛の匠」と称賛される5人の生産者によって育てられています。

「牛の匠」5人の生産者は、常に飼育法を研究し、ノウハウを共有し、最高峰の和牛を育て上げています。

薩摩の久保は、飼育から流通・加工まで徹底してこだわりぬき、愛情をもって大切に育てられた「情熱牛」を一頭買いしています。

この最高品質の「情熱牛」を安定して消費者に提供し続けることが、薩摩の久保の「責任と信頼の証」であり、情熱牛グループの根底に流れている共通の思いなのです。

これこそが和牛の中の和牛と絶賛される「情熱牛」の感動のおいしさに、この秋改めて出合いませんか?

change_history